昨夜の日記に触発されて、ではないが、
ちょっと真面目に語りたくなってしまったので長々と述べたい。
そもそも、外来生物の導入が何故問題視されるのか。
それは在来の生態系に影響を与えるからである。
影響が大きく、在来生態系が変化してしまうと、
当然、生物相も大きく変化する。
その結果、それまで見られた生物が消えたり、
景観が変わってしまったりする。
これらが変わることによる影響は以下の例が挙げられる。
・寂しい(文学的問題)
・種数の減少による攪乱への耐性低下(生態学的問題)
・例えば漁業における収量減少による収入低下(経済学的問題)
・雨、風などの影響拡大(例えば防災学的問題)
だから外来種を世に放つのはやめましょう、
と単純には言い切れない(勿論、肯定はしないが)。
結局、これらは人間の社会活動と密接に関係しているからである。
一例として、映画「ダーウィンの悪夢」を挙げておく。
日本を考えると、有史後は外来種導入の歴史と言っても過言でない。
コメもそう、コイもそう、チャバネゴキブリも全て外来種である。
それらが駆逐してきた在来種も多いはずである
(チャバネゴキブリは望んで導入したわけではないと思われるが)。
結局、この期に及んでは、これからどのような社会を作り、
それにふさわしい環境をどう整備していくかによる。
秋晴れに揺れる稲穂なんて本当は自然な姿なんかではないのだ。
もし今、300年間ほど日本から人間がいなくなってしまえば、
戻ってくる頃にはもののけ姫の世界になっているはずだからだ。
話が随分脱線してしまったが、
外来種と付き合うということは、
それだけのリスクと向き合わなければならないということである。
個人的には、閉鎖系での飼育など、ちゃんとリスク管理を行ならば
外来種を持ち込んでも構わないと思う。
例えば農作物の生産。
スイカの種を運ぶエネルギーとスイカの実を運ぶエネルギー、
どちらが少なくて済むかを考えれば、
俗に言う「環境に優しい」のはどちらかは自明だろう。
ただ、今の日本の政策なりモラルを見ていると、
「ちゃんと」というのが一番のくせ者であり、
現在の世の中も、このくせ者に作られたものであったりするのだが。
水族館を出てから、すぐ隣の霞ヶ浦を散歩。
4時過ぎの気持ちの良い青空と
ちょっとドブ臭いが気持ちの良い風を味わいながら、
濁った霞ヶ浦を眺める。
こう言うと問題かもしれないが、やっぱり汚いなぁ…。
10年前に滋賀県の湖南地域に住んでいたことがあったが、
その頃の汚い琵琶湖を思い出してしみじみ。
そんな中をウォーターバイクで走る方々。
ともあれ、日本で2番目に広い湖。やっぱり大きい。
風が強かったせいか、かなり荒れていて、
波の立ち方なんかは海と変らない。
近くの漁港まで行ってみると、さすがに港内は波も穏やか。
しかし、この漁港にて、この湖の抱える問題に直面することになってしまった。
漁港に多数捨てられていた魚の死体に気付く。
それらはかなり大きいナマズであった。
だが、日本産のナマズではなく、所謂キャットフィッシュなのである。
しかも、どれも相当大きいサイズ。最小でも30cmを下らない。
こんなのが、こんなに沢山取れるようになっているという事実に驚く。
サイズ、数から考えれば、霞ヶ浦に定着し、
そして着々と勢力を広げて行っていることは明らか。
ちょっと歩くと、魚の死体溜まり。
潮流の関係で、浮遊物が一カ所に集まることは珍しいことではないので、
魚が沢山死んでいることが問題なのではない。
その死体をよく見ると、フナやコイだけでなく、
ハクレンなど外来魚(厳密に言えば、コイも外来種ではあるが)が多数。
これまで見てきた西日本の河川・湖沼とは全く様子が違う。
何故外来種が増えたのか。
そして何故外来種が多くてはいけないのか。
色々な学説があるが、コメントは別の機会に。